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F-94はロッキードが開発した全天候戦闘機。C型以降にのみ、愛称としてスターファイア(Starfire)が与えられた。1949年初飛行、アメリカ空軍で運用された。 == 概要 == 第二次世界大戦においては、機載レーダーにより、夜間戦闘機が実用化の域に達した。大戦の終結直後より、冷戦下の開発競争は夜間戦闘機のジェット化も促した。レシプロ機のP-61、F-82が旧態化した折、ソ連は1949年に核実験を成功させ、B-29のコピー機Tu-4を実戦配備したことから、ソ連側によるアメリカへの核攻撃の危機が顕在化し、これらを要撃すべき夜間(全天候)ジェット戦闘機の開発は米空軍にとって喫緊の要請になった。 パイロットとオペレーターの2名が必要なことから複座機が好ましく、1948年3月に進空したばかりのジェット練習機TP-80C(後のT-33)をベースに改造により夜間戦闘機が開発されることとなった。改造試作機は1949年4月16日に初飛行した。試作機の名称は当初ETF-80Cであったが、YF-94の名で仮発注を受け、量産契約は1949年11月に結ばれた。 大出力レーダー(AN/APG-33)と火器管制装置(ヒューズ E-1)、射撃コンピュータ(スペリー A-1C)、地上データリンク、無誘導空対空ロケットを装備した。レーダーアンテナは機首に装備し、インテイクは胴体脇にある。主翼は低翼配置の直線翼である。C型は機銃を装備せず、機首に24発搭載したMk4 FFAR マイティ・マウス空対空ロケットが主武装であり、後期には両主翼途中にMk4 FFAR各12発装備のロケット弾ポッド1基を搭載できた。 エンジンはアメリカ空軍制式機初のアフターバーナー付きに強化され、燃料消費量が増加したため、主翼端の増槽(チップタンク)は大型化された。 朝鮮戦争勃発とほぼ同時の1950年5月に配備開始、夜間撃墜を記録している。空軍では1959年まで使用され、その後は空軍州兵に回された。練習機やチェイス機としても使用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「F-94 (戦闘機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lockheed F-94 Starfire 」があります。 スポンサード リンク
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